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亡くなった人のことを考えたり、思い出したりすると、天国でその人のまわりに花が咲くという言い伝えがあるらしい。
亡くなったおじいちゃんと犬のことを考えて悲しくなったとき、その話を思い出すようにしている。
綺麗な花がたくさん咲いて喜んでる笑顔が想像できて、わたしは泣いてしまうけど、そのあいだもぽこぽこと花が咲いていることを信じている。
わたしはわりと物事に根拠や説明を求めてしまう人間なのだけど、こういう説明のつかない、科学的でない伝承が好きで、科学で説明できないことが世の中にはきっとあると思っている。
神話も聖書も詳しくないけどおもしろい。
でも人を洗脳するのは罪だと思うので好きじゃない。宗教に陶酔する人の心理に興味はあれど。
お化けも怖いからそういうときは科学に頼る。
科学は強いし、都合よくいろんなものに守られて生きていきたい。人間は弱いけど強いもんね。
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誰かとずっと一緒にいたら、たとえそれまで育ってきた環境や立場が全く違うものでも、似てくることがある気がする。よく使うことば、笑い方、表情だとかも。
それはきっとただ物理的にそばにいるからだけでなく、感情のわたしあいをするからだと思う。だからこそ、となりにいる人はとても大切で、それが恋人でも友達でも、自分が心からよいと思える人たちと一緒にいたい。
いまはもう離れてしまった人にも、たくさんのものをもらったなあと最近実感する。
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新約聖書に出てくる、サロメを題材にした戯曲を思い出した夏休みの夜。ひどく利己的で、汚くて、性にまみれた愛だなと思った。そしてなんとも刹那的である。
たまにはそんな愛も悪くないし、サロメの気持ちもなんとなくわからなくもないと思ってしまったけれど、できればわたしはきれいな愛に首まで浸かって生きていきたい。
もし自分のそのときの判断のせいで、その後の人生でその人に一生会えないとしても、逃がせるものならば逃がしてあげたい。首はいらないし、キスもいらない。できれば感謝のしるしにぎゅってしてから逃げてほしいけど。
自分のしたことでその人がこの先ずっと生きていけるなんて、その事実だけで自分も生きていける気がする。そのときぎゅってしてから逃げてくれればなおさら。つまりはぎゅっとしてほしい。ぎゅっとしてから逃げてくれたのむ。